Event Report
イベントレポート
「軍艦島をはかる」第1回講演会
「軍艦島をはかる~第1回 島内最古の建物30号棟をはかる~」が、二子玉川夢キャンパスにて開催されました。
2015年、軍艦島を含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」がユネスコ世界文化遺産に登録され、その存在はメディアにも大きく取り上げられました。
軍艦島(長崎県端島)は、明治から昭和にかけて海底炭鉱により日本の近代化を支えました。最盛期の人口密度は世界一、東京のなんと9倍。しかし1974年に閉山し無人島となってからは、厳しい自然環境のなか廃墟となった建物の崩壊が進行しています。
廃墟群には歴史的に貴重なものも多く、今回のテーマである30号棟(旧鉱員社宅)は築100年。すでに解体された同潤会青山アパートよりも古い、我が国最古の鉄筋コンクリート造アパートがこの島に残されています。
そんな貴重な建築群の維持管理のため調査研究を続ける濱本卓司先生(本学名誉教授)。
現在、島にはインフラが無いためバッテリーを持ち込み、太陽光パネルで電源を確保しなければなりません。そして監視カメラの映像と音声、振動センサーのデータを無線LANで転送し、遠隔地から24時間リアルタイムのモニタリングを続けています。
崩壊は年々すすんでいて、特に台風による被害が深刻とのこと。
本学建築学科OBの中村陽一さん(元NPO法人軍艦島を世界遺産にする会理事)は、少年期をこの島で過ごしました。当時の軍艦島を知る中村さんが登壇すると、会場内にカメラのシャッター音が一斉に響きました。
軍艦島は三菱の私有地で、住民はおもに三菱の従業員。生活空間と生産の場が一致し、企業により徹底して管理された単一的な社会でした。
小中学校、保育園、病院、神社やお寺、役場、マーケット、娯楽施設など都市の機能をほぼ備え(なかったのは火葬場と墓地のみ)、電気もガスもある都会的な生活をしていましたが、昭和32年に水道が敷設されるまで、水は本土から船で運んでいました。海が荒れた時は、海水のお風呂に入ったのだとか。
海に囲まれた自然環境、炭鉱での労働は過酷なものでしたが、島民は一つの家族のように家に鍵をかけることもなく、イベントがあれば総出で盛り上がり、小さな島で助け合いながら生きていました。中村さんのお話から、当時の島の暮らしが鮮やかに浮かび上がります。
過去の軍艦島の生活や現在の廃墟の状態など、メディアや観光ではうかがい知れないリアルな軍艦島に迫る本講演会は、全3回開催します。ご興味のある方は、ぜひ夢キャンパスへお運びください。
「軍艦島をはかる」開催予定(全3回)
第2回:2017年9月30日(土)「小中学校(70号棟)、耐波建築(31号棟)、最大の建物(65号棟)をはかる」
第3回:2018年3月24日(土)「日給社宅(16~20号棟連結建物)をはかる」
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